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終憶ついおくに響く名』覇月の章

By.はっしぃ


 『彼』にとって、それはパズルの1ピースに過ぎなかった。
 『彼』にとって、それは手札の1枚に過ぎなかった。

 普通の人にとって、それは一生を越える時間と手間がかかり、なおかつ、それをかけてもなかなか得る事はできない。

 が、幸い『彼』は人でなかった。否、なくなってしまったと云うべきだろうか?

 手札は人間…それも自分と同じ『人形使い』としての才能がある者。
 そして、その人形使いの糸を断ち切る事ができる、招かざる運命の子。

 すなわち『不確定因子』

 両者とも彼にとって脅威になりこそすれ、得るものはないはずの者達である。

ー自分は退屈していたのだろうか?

 この街の聖母は黙して語らぬ。
 たしかに、彼女は賢い。
 それはおそらく、自分と戦う事が如何に無意味であるか、知っているからだろうか?

ーそう、だからこそこの街の異能者は全て彼女に任せている。そちらの方が彼にとっても何かと都合が良かった。

 幻影の街に住む人形は、彼にとって理解しがたい存在であった。だが、所詮は敵では無い。なぜなら、彼は彼女が何であるかすら知っていたからだ。

 だがもし、あの人形の後ろに控える太古の巫女。神ですら薙ぎ払う剣…、それを守る女…、彼女が敵に回れば…。おそらく、この自分すら消しかねないだろう。
 だが、彼女は自分とはまた別の存在である事、そして彼女は待ちつづける事しかできない事を、あの道化師…、キリー・クレイトンは語っていた。
 ならば、彼女もまた、あの老科学者と同じ存在という訳である。

 間接的な干渉は許されても、直接、手を出すことを禁じられた災厄前の亡霊達…

 彼には敵が居なかった。だから作り上げたのだ。長い年月の最中、人の意図を糸の様に手繰り、0を1に並べ替え、偶然という彼が最も嫌う『曖昧な』力すら借りて…

 そして今、その手札は彼の目の前にある。

 …コノ中カラ、一枚、選ブトシタラ誰?
 別の彼が忠告する。
 「マダ、早イ」と
 また別の彼はひたすら事を急がせる
 「コレ以上、彼ラニ時間ヲ与エルベキデハ無イ」と

 数百人の彼らの言葉を一斉に統合する。それは彼にとって一番思わしくない結論に至った。
 『時の流れに委ねるままに…』


「なぜ、葉月はづきという名前なんだ?」
 誰かが不意に問いかけた。
 それは、いつも通りの薄汚い路地裏。
 街頭の光りすら届かぬ荒れ果てた、ゴミやスクラップが散乱するその場所でたき火を囲む少年たち。
 そして濁った空にも関わらず、月が綺麗な夜の事だった。
 問いかけられた少年は、すぐに答える事が出来なかった。
 何故なら彼は昔から『葉月』と呼ばれており、彼自身、その名に対し何の疑問も感じていなかったから。
 彼は…一見少女にも見えそうなその少年は、仲間の不意な質問から自分が見落としていたある重大な事実に気付き、黙り込んでしまった。
 重大な事実…それは彼に現在の、同じストリートチルドレンとしての仲間達との出会う以前の記憶が全く無いと云う事だった。
ーまさか、生まれた時からストリート・チルドレンだったって事は…
 …ないよな、と完全には否定が出来ない。少なくとも葉月が知っているこの街ではそんな事は日常である。自分が例え生まれて間もなく捨てられたコインロッカーベビーだったとしてもさして驚く事では無い。
 問題は一体誰がそんな自分を世話してくれたかである。これは正直言って皆目検討もつかない。
 ひいき目にみても仲間は皆、有能だと思う。だが、ベビーシッターのような平和的な特技を持つ者、それが務まりそうな好人格者は一人も居なかった。
 やはりここは、自分が誰かの手によってある程度は育てられ、決別し、そして今の仲間と巡り合えた…そう考えたほうが妥当だろう。
ーでは、いつ?
「俺達の仲間になったのが、丁度8月だったからだよ」
 葉月が答えあぐね、考え込んだのを見計らってリーダーが言った。
「陰暦…つまりこの国の8月は『葉月』と言っていたそうだ」

 彼等のリーダー…仲間からはただ『リーダー』と呼ばれる年長の少年。
 彼は色々な事を知っている。役立つ事も、どうでも良い事も…。
 だが、それがどこから仕入れた知識かは誰も知らず、聞いても常に回答を濁されていた。
 仲間内では彼が天上人(ハイランダー)じゃないかと囁かれているが、案外、その噂は事実かもしれない。
「リーダーが付けてくれた名前だったの?」
 葉月にとって初めて聞く話だった。出会った時の事も名前の由来も含めて…。
「ああ。確か、あの頃のお前は口も満足に聞けなかったし…多分、記憶障害じゃなかったのかな」
「記憶障害…?」
「恐らく。何を聞いてもずっと黙っていたしな。それで何て呼んでいいか解らないからという訳で取り敢えずこう呼んでいたら、そのまま定着してしまったんだ」
「…そんな事があったんだ」
 葉月がそう呟くと、隣に座っていたミラーシェードをかけた少年は得意げに葉月にを見て語りかけてきた。
「俺がお前をみつけたんだぜ。まぁ、お前は覚えてないかもしれないけどな…。確か7年前だったかな?」
 工作係の少年。…皆からは『ミラー』と呼ばれている…が自慢気に話すのを見て葉月は更に驚愕した。
「ミラーが?」
「そん時のお前は…そうだな、着ていた服も結構上等で、最初はどこかの御曹司が迷い込んだと思っていた。が、手に持っていたバカでかい銃が妙に不釣り合いだったし、口は利けないし、これは何かあるなと思い慌ててリーダーに報告したんだ」
 ミラーは最後に「勿論、このオレがな」と再び自分を強調する。
ーああ、そうか…
 葉月は何故、彼がいつも自分に対して兄貴風を吹かせていたか解らなかった。
 その事を疎ましいと思った事は無い。だが、単に自分が一番年下…そんな理由からかと思っていたのだが、まさか彼とこんな経緯があろうとは夢にも思っていなかった。
「ふぅん…」
「なんだ? それだけか?」
 否、葉月の心には改めてミラーやリーダー…仲間達に感謝する気持ちが沸いてきていた。
 このストリートでは弱いものは生きられない。記憶障害の子供を仲間にしたって足手まといになるのは明白である。
 それを知って尚、彼等は自分を仲間として受け入れてくれたのだ。
 だが、今更照れくさくて礼の言葉は思いつかない。そのかわり…
「じゃあ俺は下手すりゃ新鮮な臓器1パックになっていたのか…」
 と、いつもどおりの軽口が出てしまう。
 だが、そんな葉月にミラーは、それこそ意地の悪い表情で応対する。
「いや、男娼として売り飛ばされていた可能性もあるな。そっちの方がお互い良かったか?」
「…誰かのヘマで死ぬ思いしない分、幸せだったと思うよ」
 とんだブラックジョーク。
 口では悪辣な事を並べるが、それでも彼等には相手を敬う心があり、そして信頼していた。
 平穏な日常…

「そういえば名前で思い出した。実はここ数日中にここら一帯で大規模なストリートチルドレン狩りがあるらしい」
 軽いリーダーの口調とは裏腹に、一瞬にして全員に緊張が走る。
「何で今更ストリートチルドレン狩りなんてするんだ? ここ数年はこれといって目立った事はなかった筈だったのに」
「…実は日本軍がこのN◎VAにやって来るらしい」
 どよめく。教養に縁の無いストリートチルドレンでも日本の存在は知っていた。世界に対して鎖国を宣言し、圧倒的な力を蓄えた得体の知れない国が、ついに重い腰を上げたのだ。
「一体、何故…」
「残念だけど俺は知らないし、知ったところで多分どうでもいい事だろう。とにかくそいつ等がこのN◎VAを徹底的に統治、区画整理するらしく…
「…その一環でここも『掃除』される訳か」
「俺達はゴミかよ!!!」
 誰がそう叫んだかは解らない。
 だが、一般人から見ると自分達はそう見えるのだろう…。
 無論、その事はここで活動する内に嫌になる程知らされてたが、自分が惨めになるからと誰も言わなかった事だ。
「まったくだ…」
 そもそもこのN◎VAという街は日本のゴミ捨て場のようなモノである。
 日本が捨てて行ったゴミを漁って彼等の先端技術を手に入れ、栄えていると言っても過言では無い。
 なら、このN◎VAのホワイトエリアに住む人間達と自分達と一体どのような違いがあるというのだろうか?
「で、それと名前と何の関係があるんだ?」
 自分の名前の事で始まった話が急に大事おおごとになっていく。その為か葉月の心は少しイラついていた。
「まぁ、最後まで聞いてくれ。それと同時に日本はN◎VAの住民に市民IDを発行するらしい」
「つまり、N◎VAに住む住民の証拠みたいなものか?」
「ああ。…これはチャンスだ!」
 普段は冷静なリーダーが少し熱くなっていたが、覇月にはその意味がわからなかった。
 否、それは呆けた顔をしてリーダーの言葉を理解しようとしている他の仲間達も同様だろう。
 リーダーはそんな彼等を見回し、らしくない自分を見せてしまった照れを隠すように頭を掻くと、いつもの口調に戻る。
「…ああ、つまりだな。日本が市民IDを発行しはじめると同時にどさくさに紛れて俺達もIDを取ってしまおうかかと言っているんだ」
「そんな事が出来るの?」
「…そうだな。相手はN◎VAでも最先端の技術者だろう。そんな奴等を出し抜けるような技術は今のオレ達には…恐らく無い」
「リスクも高すぎるしな…」
 葉月がそう呟くと皆もそれにならうように口々に不安を洩らしはじめた。
 だが、そんな仲間をみてリーダーは笑みを浮かべる。
「大丈夫、その辺はあるツテで話はつけてあるから確実だ。…まぁ、少々ワケありなんだが。兎に角、俺達はストリートチルドレンでは無く一般人として堂々と生きれるんだ」
 リーダーの言っている意味を理解するのに少し間があった。
 ドン底のストリートチルドレンが出世して成り上がり成功する…マイケル・グローリーのような存在は常に同じストリートチルドレン達の夢であり憧れであったが、それはよっぽどの実力や運が無い限り不可能であろう。仲間も皆そう思っていたが口には出してなかった。大切な夢や希望が壊れるからだ。
 それをいとも簡単に抜け出せる…少なくともストリートチルドレンから一般人としてスタートラインに立てるのだ。夢ではないだろうか?
「本当かよ…」
 だれかが呟いた。
「本当だ。だからその際に名前も自由に変えられるし、誰にもストリートチルドレンだからと嫌な顔をされなくて済む。俺達の人生は今から始まるんだ!」
 リーダーの自信に満ちた言葉に皆がはじけた。叫び出すもの、急に誰にも話していない夢を語り出すもの、泣き出すもの、様々だ。

 後に覇月は思う。…あの時、自分はどうしていたのだろうか?…と。

「…で、お前はどうするんだ?」
 気が付けば夢うつつの状態の葉月に話移っている。一体何の話をしていたのだろうか?
「そうだね…俺は…」
 ミラーが自慢のギターを片手に葉月に問いかける。彼が自分で拾ってきて修理したものだ。
 葉月は以前、彼の夢は音楽家だったと聞いていた。自分は音楽についての知識は無いが、それでも彼の弾くギターの腕はかなりのものだと思う。
 きっと、その夢も叶うだろう。じゃあ、自分は…
「俺が得意なのは…銃くらいだから…出来る事は賞金稼ぎか。他にはあんまり思いつかないし。まぁ、皆の成功を見るのが俺の夢かな…」
 我ながらクサイ台詞だと思いながらつぶやく。でもその心にウソはなかった。
「そうじゃなくて…」
「…え?」
「だから名前だよ。俺はミラーだから…そうだな、鏡…加々見…加賀美…そんな名字がいいや。名前は後で考えよう」
 彼は昔から変なところで拘る所がある。ミラーという名前も似合っていると思うのだがどうやら当人はそれが嫌らしい。
「…俺は葉月のままでいいよ」
 逆に葉月はそういう事に関しては比較的無頓着である。実働的な役割が多かったせいだろう。
「それじゃあ、なんだが女みたいな名前じゃんかよ。お前はタダでさえ女顔なのに…」
「そうかな?」
 夜空を見上げる。そこには相変わらず綺麗な月が浮んでいた。
 ミラーはそんな葉月と、夜空に浮ぶ月を見て何か思いついたらしく、強い口調で言う。
「そうだ、いっその事、覇王の覇をとって『覇月』っていうのはどうだ? これなら女らしい名前だってナメられる事もないし、なによりハッタリがきいている」
「ハッタリなのか…」
「…なんだ、ノリの悪いヤツだな?」
「でも、月は影なんだよな…」
 気がつけば、同じように夜空を見上げていたリーダーがそう呟く。
「月自体は光りを放つ事がない。太陽の光を反射して、あたかも自分が光るようにみせる。月の光りは太陽の影なんだ。…あの時、もう少しマジメに名前を考えておけば良かったかもな」
「別に構わないよ。どんな名前でも皆から見れば俺は葉月だろうし、リーダーはリーダーでミラーはミラーだ。その事はこれからも変わり無いだろうしさ」
「…じゃあ俺の名前はボツか。折角考えてやったのに!!」
 ミラーは勝手な事を言い葉月に食いかかる。彼なりに湿っぽくなった場をどうにかしようという気遣いなのだろう。
「ところでリーダー。そのツテって本当に大丈夫なの?」
「ああ。ところでお前達、体は丈夫だよな。とくに内臓とか…」
 リーダーは冗談とも本気ともいえぬ顔で皆を見る。
「実はそのID取得のツテっていうのが…ちょっと特殊でね。全員のID取得に力を貸す見かえりに、死んだらそいつの臓器を提供しろと言っているんだ。こんな話を勝手に進めて悪いと思っていたけど、生きている内に内臓を持っていかれるよりはマシだし、金もかからないんで思わず即答してしまった」
「おいおい、マジかよ…」
「冗談じゃない。カンベンしてくれよ、リーダー」
 誰かが笑った。つられて皆も笑う。

 葉月は知らなかった。
 それが自分にとって最後に見る事になる、皆の本当の笑顔だと云う事を…。


「起きろ、葉月!!!」
 不意に響く誰かの叫び声。
 寝起き間際の鈍い思考…だが、それは一瞬で呼び覚まされる事になる。
「起きたか。早速だが、緊急事態だ」
 そう言ってミラーは葉月の愛用の銃を放った。
 葉月は銃を受け取り、殆どクセの様に残弾などを確認すると腰に収める。
「…どうしたっていうんだ…?! コレって…」
「ああ、見ての通りさ」
 辺り一面、炎が渦巻いていた。
 その炎の中で時折、ドロイドウォーカーや装甲服を着た兵隊が見て取れる。
 その様はかつて聞いた地獄…そのものだった。
「どうやら、予定されていたストリートチルドレン狩りは今日だったみたいだな」
 かすかにうめくように、リーダーが呟いた。
ー自分が思ったより早く、相手は行動してきた。この件はどう考えても事を軽視した自分のミスだ…
 言葉には出さなかったが、葉月はリーダーの考えている事が手に取るように判った。
 おそらく、他の仲間も同様だろう。
「ま、なっちまったモンは仕方ない。…で、どうする?」
「そうだよ、リーダー?」
「まさか、自分が囮になる…なんてカッコつけるんじゃないだろうな?」
 仲間の言葉に一瞬、表情を緩めると彼はいつもの口調で指示をはじめる
「脱出するしか…ないだろう。だが、ここで団体行動はキツいな。散開した方がよさそうだ。とりあえず3グループに分けよう。…それから葉月!」
「え?」
「今残っている銃と弾はお前に全部まかせる。銃に関してはお前が一番適役だ。俺達が使ってもたいして効果なさそうだしな」
「それもそうだな」
「ああ、解った」
 彼等はそう言いながら次々に手持ちの銃を葉月に差し出す。
「だけど、それじゃあみんなは?」
「何とかなるだろう。いや、何とかする」
「それに、オレ達が持っていても荷物になるだけだ。お前に任せる」
「…そんな…」
「いいか、葉月…」
 リーダーは不適な笑みを浮かべながら葉月に言う
「弾は敵を足止めするだけに使え。絶対に相手を倒そう何て考えるな。オレ達の目的は相手を倒す事じゃない…生き延びる事なんだからな」
 ミラーはおどけた表情でリーダーを見る。
「ムダ話もこの辺でいいだろう、リーダー…。そろそろココもヤバイぜ」
「ああ、そうだな。行こう! みんな、待ち合わせは例の場所だ!!!」

 ホワイトエリアの一角。
 洗練された住宅やオフィスがならぶ界隈に、一般的な中規模ビルがあった。このビルにはT3C…、正式名称をトータル・トロン・テクノロジー・コーポレーションと呼ばれる、表向きはソフトウェア開発会社という肩書きを持った会社が入っていた。
 そのT3Cのオフィスが入っているビルの最上階で、彼女はストリート方面の夜空が夕焼けのように照らし出されている事に気がついた。
「レイン、アレは何かしら?」
 彼女は仕事をしつつ、傍らに立ちながら美堂の仕事の手伝いをしている女秘書に、その光景について訊ねる。
「おそらく、区画整理の一環でしょう」
 レインは書類に目を通しながら、簡潔に答える。それを聞いた女社長…、美堂麻美はさしたる興味もないかのように呟く。
「…ああ。確か最近、ストリートチルドレンの“おいた”が過ぎるから、どうこうしようと動きはあったみたいだけど…、つまりソレな訳ね」
「恐らく。ストリートチルドレン絡みの犯罪はここ1ヶ月で12件。一番新しい情報はホワイトエリアに住む良家の礼嬢の誘拐、暴行の上殺人と死体遺棄、身代金要求…、そんなところと記憶してます」
「で、大量処理に踏み切ったというところね。どうせなら全員、ふん捕まえて生体実験用のモルモットにした方がいいと思うけど…」
「一部ではそうするようですが、何分エサ代もかかる訳でして…」
 その答えを聞いて、美堂は書類へサインする手が一瞬止まる。そしてレインの顔を見て、様子が変わっていないことを確認しつつ、ぽつりとつぶやく。
「あんた、結構言うわね」
「毒舌も趣味ですから…」
 一瞬の空白。(どこまでが冗談なのかしら)と美堂は思いつつ、会話を再開する。
「ところでレイン…、そのストリートチルドレンが起こした事件の信憑性は?」
「あまりありませんね。事件自体は珍しいことではありませんが、立てつづけという事が少々出来過ぎてます」
「…つまり、“何処か”の“誰か”がこの大量処理を強行したかった。事件はその誰かの陰謀によるもの…、そういう事かしら?」
「可能性としてはありますね。何ならこの件に関して調査致しましょうか?」
「いらないわ。どうせ調べても一銭の得にもならないもの」
 レインの言葉に対して一言で答えた美堂は、手元の書類を見つつ、ぽつりとつぶやいた。
「それにしても…」
「なんでしょうか?」
「あの場所から生きて帰れる人間がいたら…、そう考えると興味あるわね」
「こちらの方の可能性は算出不能です。…下24桁範囲で宜しければ計算しますが、どうしますか?」
 ポケトロンを片手にした秘書をみて、傍らに彫像の如く待機していた双子のメイド服姿のドロイド達は無表情に話し始める。
「レインって、計算も趣味なのかしら?」
「小数点が好きみたいね。きっと、ルートとか円周率を丸暗記するタイプかしら?」
「たまにそんな人、居るわね。そんなもの憶えても何の役にも立たないのにね」
「ひといじょうにおごれや…、ふじさんろくにおうむてったい…」
「ひとよひとよにひとごろし…?」
 夏美が首を傾げて言うと、レインはポケトロンから顔を上げずに答えた。
「夏美、平方根の2は“1.414213562373”が近似値として正しく、貴女の言った語呂の場合には、0.00000008ほどズレが出ますので注意して下さい。ちなみに平方根の3は…」
 顔に似合わぬ、ドロイド達の性格の悪い会話と、その会話に併せるかの如きレインの答え。どちらも、何を考えているのかまるで分からない。そんな人を馬鹿にした会話に、美堂のただでさえ細い堪忍袋の緒がぶっつりと千切れた。
「夏美に冬美! あんたらはお茶でも煎れてらっしゃい! それにレイン! 貴女も性悪ドロイド達の会話に合わせるんじゃない!」
 美堂は双子の毒舌と何を考えているのか分からないレインに対して、あたりまえのように文句をならべる。だが、そこに気を悪くした様子が無い。おそらく、このドロイド姉妹の毒舌や、訳の分からないレインの回答は日常茶飯事なのだろう。

 ドロイド姉妹が部屋を出ると同時に、美堂はふと一つの疑問が浮かんだ。そして、恐る恐るレインに顔を向ける。
「…貴女、もしかして…?」
「いえ、参考までにです。暗記は下位12桁までに押さえておりますので」
「あっそう…」
 美堂はやはり何を考えているのか分からないレインの答えにため息をついて、先ほどまでの話を再開させる。
「…まぁ、あそこから生還できる奴なんて、実際にいるとは私も思わないわよ。これはあくまで“もしも”の話。でも、あの地獄から生還できるとなると、相当な実力者なんでしょうね」
「わが社で雇えれば、即日幹部を任せてもいいかもしれませんね」
「…そうかしら?」
 遠くに薄暗く光る炎の明かりを眺めつつ、美堂はポツリと呟いた。そのつぶやきを聞いて、レインはポケトロンから顔を上げる。
「何故です?」
「強過ぎる人間…、特に逆境をくぐり抜けて来た人間というのは確かに強いわ。でも、そういう人間はその強さ故に、社会不適応者になるものよ。それならば実力は劣るけど、忠誠心の高い者を雇った方が色々と役に立つし、組織としても経済的だわ」
「…確かに。しかし惜しい人材ではありますが?」
 レインもそれに習い、窓を見つめる。
「…そうね、こういう場合は友達になって、口八丁でコキつかうのが得策ね」
「なるほど。参考になります」
 秘書の言葉に女社長は薄く笑う。
「…本当に“もしも”の話なんだけどね」

 …数ヶ月後。その“もしも”の話が現実になる事を彼女は夢にも思わなかった。

 その頃、葉月は燃え盛る炎の中、ひとりで走り続けていた。
 仲間とはとうの前にはぐれてしまった。だが、大丈夫だろう…彼等なら…。
 不安を振り切るように走りつづける。一心不乱に…。
 近くで悲鳴が聞こえる。見れば、装甲服を着た兵士が無情にも獲物をしとめた後だった。
 そして、その無慈悲なゴーグル越しの視線が葉月をとらえる…
「くそッ」
 不意に銃を構える。今、彼が手にしているのは軍から奪った3丁目の銃である。
 最初に持って来た銃も紛失し、弾もとうに切れていた。
 あの時のリーダーの言葉が無ければもっと早く弾はきれ、彼はとっくに死んでいただろう。
 葉月はとっさに、立ちはだかる兵士の手した銃に標準をあわせる。
「当たれっ!!!」
 叫び声と共に引鉄をひく。
 葉月の銃口が的外れなのを見て兵士は油断していた。
 だが、その弾道が不意に曲がり、自分の銃に当たる瞬間をみて驚愕に歪む。
 銃が暴発し、その刹那、鳩尾に葉月の膝蹴りを受け彼は倒れ込んだ。
「こっちは…つかえそうだな」
 葉月はすかさず、その兵士の腰に携帯していたハンドガンと予備のマガジンを奪うと再び走り出しす。
 彼は気付いていなかった。自分の撃つ弾が自分の思い描くとおりの弾道を辿り、必ず命中している事を…。
 …『銃使い』。バサラ…異能者、その中でも外道と言われる銃を元力とした力が目覚めつつある事を…。


ーどうやら、皆、順調のようですね。
 暗闇の中、彼等は自分の用意した手札が良好である事を確認しほくそえんでいた。
 その内の一人が疾走する葉月に目をやる。
ーだが、彼はまだ…己の力に目覚め切っていないみたいですが…。


 銃の予備マガジンはもう無い。残りは8発…
 皆との待ち合わせの場所まで、あと5キロ…
「いけるか…?」
 葉月はうめく。辺りの熱のせいか、涙はとうに枯れてしまっている。
「俺達の目的は生き延びる事…そうだよね、リーダー」
 そう、つぶやくとまた走り始める。
 不意に何かを蹴飛ばす。
 何かの消し炭…それは恐怖の表情を浮かべた子供だった。
 自分と同年代だろうか? それとも、もっと幼い…
「助けてっ!!!」
 少女の声…
 自分とは別グループだったストリートチルドレンか?
 その悲鳴を聞き、葉月がその方向に振り向く瞬間、見知らぬ少女は何十発もの銃弾の音と共に肉塊と化していた。
「え…?」
 反射的に後ろに飛ぶ。
 次の瞬間、火炎放射の炎に煽られる。
 炎の向こうには何体ものドロイド・ヴィークルが待機しており、地面にはさきほど蹴飛ばしたような消し炭が散乱していた。
 葉月は悟った。彼等が、自分達を逃がさないようにする為の地獄の番犬である事。
 そして、例え助けを求める者であっても容赦なく焼き払う非情の輩である事を。
「…俺達はゴミかよ」
 誰かがあの晩に呟いた言葉…決して思っていても惨めになるだけで口には出さなかった言葉。その言葉を、怒りを込めて吐き出す。
「じゃあ…お前達は…一体、何なんだよ!!!」
ー絶叫。
 同時に残った8発の銃弾を全て、ほぼ同時に打ち出す。
 弾は弧を描き、全てのドロイド・ヴィークルに命中!!! そのまま動きを止める。
 …だが、ここにいる全ての敵を倒すには至らなかった。弾が足りな過ぎたのだ。
「ここまで来て…」
 肩膝をつく
 葉月の目には枯れたと思った涙が滲んでいた。
ー何故泣くのか?
ー己の無力さから? 他に死んでいった者の仇が討てなかったから?

ーいいえ、貴方には力がありますよ…
 誰かが葉月の心に囁きかけた。暗い、深淵の闇を思わせる声…
ーこんな者達など一掃できる力が貴方にはありますよ。貴方自身は気付いていないでしょうけどね…。
「…ちから?」
ーみえるでしょう…天空にうかぶ神罰の光りが…。それが貴方の本当の力です。
ー引鉄を引きなさい、空に向かって…

 無意識に銃を空にかかげる…。葉月の目には心に響く声の主同様、闇を思わせる空虚なな光りが浮んでいた。

「…これで、全てが…終わるの?」
 囁きかける声に問いかける。
ーいいえ、これは始まりにしか過ぎません。誰も成した事のない楽しいゲームの始まりでしか…
「…げーむ?」

ーいけない!!!!

 再び、心の中に声が響く。
 先ほどの声とは違った、美しい女性の声だった。
…!!!
 同時に何十発もの銃弾が葉月に浴びせ掛けられる。だが、奇妙な事にその弾道は曲がり、葉月に傷一つ負わせる事が出来なかった。
 葉月はドロイド・ヴィークルの群れの中に飛び込んだ。
 そして駆け出す。何故か自信があった。自分は決して銃によって倒れる事が無いという、根拠が無い自信が…

 街が一望できるその場所に彼は居た。
 マネキン人形のような不自然な美しさを持つ顔立ち。銀色の髪と真紅の瞳。
 彼ー鵺崎雫夜ぬえさきしずやは目的の少年を見つけると、そこに転移する。
 燃え盛る炎の中で、かれは虐殺を繰り返す者達を一瞥すると、その瞳を歪める。
「胸が悪くなりそうな光景だ。…けど、今は生かしておいてあげるよ。だって、姉さんの命令だからね」
 彼は知っていた。姉さんと呼ぶ女性がどんな思いで彼等に手出しをしてはいけないと命じたか。どんな思いで彼等の犠牲になる者達を救ってはならぬと命じたか…。
 未来を変える恐ろしさについて、彼は知らない。そのような特殊能力はマヤカシと呼ばれる異能者のものであり、バサラとよばれる彼には知り得ない領分だった。
 ただ、大好きな人間を1人救った為に100人の罪の無い人間が犠牲になる…運命を変えるにはそんな危うさがあると何処かで聞いた憶えがある。
ーST☆Rに居るアイツくらい狡猾になれれば苦労しなくて済むんだろうけどね…。
 闇黒子の同類…彼の知っているマヤカシは、結果は変えずに過程のみを自分の好みに書き換え、喜びを覚えるらしい。
 おそらく、姉さんもその気になればそれくらいたやすく出来るだろう。だが、彼はそれが出来ない姉さんがたまらなく好きだった。
 彼はそんな姉さんの顔を思い出し微笑むと、辺りを見回す。
「…それにしても、チビ太のヤツ…一体何やってんだ? どうやらあの後、トキオの所に行ったみたいだけど…。まさか仕事で二股かけてやしないだろうな」


 闇の中で彼は歯噛みした。
 まさか、彼女が干渉してくるとは。…だが、それならそれで構わない。彼を『狩る』役に回せば済む事だ。しかし…。
「どうやら、彼女が守護する以上、彼は自分本来の力を最後まで引出せないかもしれませんね。それでは役不足だ。…仕方ない」
 いささか不本意ではありますが、自分の動向に気付きつつあるST☆Rの人形…彼女も彼の鬼札としてあつらえるとしましょうか…。
「やがて来る時の為に…ね」


 街の片隅。ストリートの外れ…。葉月はそこに辿りつくと同時に倒れ込む。
 肩で息をしている。精神的にも肉体的にも疲労は限界に達していた。
 何度、トリガーを引いただろうか?
 どれくらい走っただろうか?
 心の中で延々と意味の無い質問を繰り返す。混乱しているのだろう…。だが、瞬時に冷静さを取り戻す術を彼は知らなかった。
 時間は無情にも過ぎていく。だが、いくら待ってもこの合流地点に仲間の姿は現われない。不安が心を覆い尽くす。
ー皆、そう簡単に死ぬような連中ではない筈だ。きっといつものようにつまらない所でてこずっているのだろう。そうでなければ…


 葉月を後ろから見つめる一つの影が在った。
ーいたな、アイツか…
 …ここまではトキオの言葉どおりだ。
 後はあいつがどう出るかは判りきった事だがな。
「…さてそろそろ救いの手を出してやるか」

「ぃよう。不景気そうな顔をしているな、小僧ぼうず
 自分に向けられた言葉だろうか?
 葉月は視線を声の方向に移す。そこにはバイクを傍らに金髪、黒眼鏡の姿をした男がいた。その髪をトサカのように立たせている所から軍の追手ではないようだ。
「どうした、小僧。もう疲れはてて声も出ねぇか?」
「…小僧じゃない。俺は…」
 葉月…いや、違う。
 葉月はその時、何故かその名を素直に告げる事をためらった。
「はづき…月を覇する…覇月だ」
 これでいい…
 理由も判らず、そう納得する。
「そうか。俺は骸王がいおうっていうんだ。ヨロシクな」
 男は親指を立てながら言う。きっとクセなのだろう。
「所で覇月。お前はこんな所で何をしているんだ?」
 骸王と名乗った男は炎に包まれた街を横目に、タバコに火をつけながら覇月に尋ねた。
「仲間を…待っているんだ…」
「お前はストリートチルドレンか…。よくあの中から逃げのびたモンだ。そうとう運が良かったんだな。それとも実力か?」
 覇月はふらつきながらも何とか立ちあがり、骸王と同じ方向を見る。薄汚いストリートは今、地獄のような業火につつまれていた。
 帰る所を失った虚脱感。
 一度はストリートチルドレンの立場を否定しようとした覇月。彼は自分にこんな感情が沸いてくるとは思いもよらなかった。
 あるいは、分相応の立場をわきまえなかった自分に対する罰がこれなのだろうか?…と
「こんな事言うのは何だが、お前の仲間は…絶望的だな」
「…」
 そんな事ない!…そう否定したかった。たとえ頭で解っていても…。
「で、覇月。これからどうする?」
「どうすると言われても…」
「実はウラの情報なんだがな。ここ近日中に日本がN◎VAを統治する予定らしい。それと同時に市民にIDを配るそうだ」
 …知っている。だからこそ、俺達は…
「で、モノは相談なんだが…覇月、お前はID取得する気があるか?」
「え?」
「実はオレのコネで、無断でIDを取得できる奴がいるんだ。もう今までの生き方が出来ないだろうし、このチャンスを生かして一般人として生きた方が良いんじゃないのか?」
 そうなのだろうか? 俺一人生き残って無事に暮らして…仲間は何て言うだろうか?
「そう辛気くさい顔をするな。仲間の事は残念だが、そいつらの分まで生きるのが残ったお前の務めじゃないのか? …うん、コイツは使えるな」
 古臭い慰めの言葉を吐いた骸王は、すかさず胸から手帳を取り出す。
 どうやら自分のカッコイイ(と思っている)台詞をメモして後で活用するらしい。彼はこの行動自体が自分を2枚目半に落としている事に気付かないのだろうか? いや…
ーじゃあ、俺の名前はボツか。
 …そんなミラーの行動となんとなく似ている。
 場を和ませようと3枚目に転じるわざとらしい演技。
 彼だけではなかった。幾度と無く感じた仲間達の何気ない気遣い。
ー似ているんだ…アイツ等に…。
 そんな彼の行動を見て少しだけ笑った。大分精神的に落ちついたらしい…。
「分ったよ。だけど今の俺には金が無いし…」
「その点は大丈夫だ。ところで覇月。お前、体は丈夫な方か…特に内臓とか?」
 何処かで聞いた事のあるような台詞。思い出し、胸がかすかに痛む。
「それって、…どういう事なんだ?」
 うつむきながら一応問いかける。
 理由は知っていた。だが、そうしないとリーダーの顔を思い出し、泣き出しそうになるから…。
「ああ、実はな。そのコネっていうのが少し特殊で、金は一切取らない変わりに死んだ事を条件に死体を提供しろと言って来るんだ」
ー所でお前達、体は丈夫だよな。とくに内臓とか…
 リーダーのセリフと骸王の言葉がタブる…。
「あまりいい条件とは言えないが、生きている内に内臓を取られるよりマシだし、なによりタダでここまでやってくれる所は其処しかねぇ」
ー冗談じゃない。カンベンしてくれよ、リーダー…
 あの時、そう言ったのは誰だったろう?
「おい、何しんみりしているんだ? そうか、感動で泣きそうになっているんだな?」
「別に、そんなんじゃないよ…」
「とにかく、安心するのはまだ早いぜ。俺に対する紹介料は…そうだな」
「紹介料がいるの?」
「俺は情報屋だからな。…うん、お前は俺ほどじゃないが結構かわいい顔しているな。今度一緒に酒に付き合え!」
 その言葉と同時に骸王から距離を置く。命とは別の危機感を感じたからだ。
 そんな覇月の姿を見て、骸王は慌てて訂正を入れる。
「バ、バカヤロウ! 俺はいたってノーマルだ」
 それでも覇月は疑い深いまなざしを骸王に送っていた。もし、この手に銃があれば迷わず撃っていた事だろう。
「あー、つまり、なんだな…」
 骸王は咳ばらいをしつつ、真顔で覇月に説明をはじめた
「いいか、集団心理と言ってカッコイイ男一人じゃ二人連れの女性は遠慮して声を掛けて来ない」
 どこが集団心理なのか知らないが、とにかくカッコイイ男というのは骸王の事だろう。
 しかも向こうから声を掛けて来る事を前提にしているあたり女性に関しては相当自信があるようだ。
「ふーん。…で?」
「だが、ここで少し劣るがそこそこマシな男が一緒じゃ声も掛けやすくなる。イイ男というのはこういう気配りも必要なんだ。とまぁ、つまりそういう事だ」
「なるほど…ね」
 そこそこマシな男は覇月の事だろう。
「それに、お前はあんな問題はおこしそうもないしな」
「何なんだ、その問題っていうのは?」
 覇月の問いに骸王は表情を曇らせる。
「ああ、よくぞ聞いてくれた。俺の知り合い…絶対に友人じゃねぇからな!」
「うん。それで、?」
「ソイツは顔だけは比較的まっとうだが、どうしようも無い位偏屈な奴でな。自分の姉と…いや、今はサザンアイズさん以外を女とみなしていないんだ。それで話しかけてくるレディを取り合いにならずに済むと思い、誘ったわけなんだが…」
「サザンアイズさん?」
「ああ、あの女性ヒトについては後で紹介するよ。それはともかく奴の話だ! 奴は酒場で言い寄ってくる女性を片っ端から人間以外の呼び名で呼んじまいやがった」
「人間以外って…まさか?」
「野菜とか動物とかはいい方で、ヒドい時には『油すまし』なんていう妖怪の名前でな…。アイツにはデリカシーってモノが存在しねぇのか? おかげで俺は二度とその酒場には行けなくなるし、元々いた俺の女達とも別れるハメになっちまった。はっきり言って最低だ!!」
「そりゃ、そんな奴連れて来たアンタが悪いんじゃないのか?」
「くそっ! 俺が甘かった。思い出しただけでも腹が立つ…」
 あきれ顔でたしなめる覇月の声も、骸王には届いてないらしい…。
 要は知人をナンパに利用しようとして失敗しただけの話である。それこそ自業自得じゃないだろうか?
 骸王は何か言いたそう覇月の視線を感じ、言葉を濁す。
「まぁ、とにかく、何だな。奴とだけは関わらない方がいいぜ。アイツは災厄製造者カラミティ・メーカーだからな!」
 骸王はそう叫ぶと同時に、覇月の向こう側に目を移して嘆息する。
「…チッ、もう手遅れだったか」
「へ? どういう事?」
「フフン、こういう事だよ」
 覇月が振り向くと、そこには噂の当事者、鵺崎雫夜が立っていた。
 彼は真紅の眼で骸王と覇月を交互に見回す。
「遅い。君はサザンアイズの言われた通り、さっさとその少年をラプラスの館に案内すれば良いのに、こんな所でムダ話とは何たる体たらく! しかも内容は今ここに居ないボクの悪口と来ている。何たる陰湿さだ!!」
「ここに居たじゃねぇか。…だいたい俺に指図するんじゃねぇ! …ったく、何で貴様が…」
「あの、この人は…?」
 突然現われた男の得体の知れない会話についていけず、覇月はたまらず聞き返す。
「ボクの名前は鵺崎雫夜だ。良く覚えておくんだね。山田くん」
 ますます分らない。それよりも自分の呼び名の方が気になった。
「山田くんって俺の事?」
「鈴木くんとか田中くんとか言われるよりはマイナーでいいだろう。今の所、君にピッタリの渾名も思いつかないし、これでカンベンして欲しいね」
 別に渾名で呼んで欲しい訳じゃない。
 雫夜は覇月に興味をなくしたのか、その眼を骸王に移す。
「おい、チビ太。ボクはこれから彼を連れて姉さんの所に行くけど、君はどうする? 同行するなら別に構わないよ」
「もう、勝手にしてくれ! …それより、サザンアイズさんの所に行く前にトキオの所に寄ってくれねぇか?」
「ふぅん…トキオねぇ?」
「ああ、こいつの市民IDを取得する為に、トキオを紹介するって約束しちまったもんでな」
「うん、一緒に酒を飲む事を条件にね。勿論聞いているよ」
「てめぇ、いつからそこに居た?!」
「君と同時刻だよ。だけど君と一緒に来ると、そこの山本君が僕等を友達だと勘違いされそうだから、声をかけずにずっと見ていたんだ」
「ほぅ、それはそれは…珍しく気が利くな」
「感謝したまえ。…それよりもトキオの所だね。あそこの結界を飛ぶのは面倒だけど、君のトロいバイクに乗って行くのは肩がこるだろうし、ここはボクが送って行ってあげた方が得策だね」
「誰がテメェを乗せると言った。俺のバイクは2人乗りで後部座席は女性専用だ。今回は特別に覇月は乗せてやるが、お前は完全に論外だ。走って来い!!」
「女性専用ねぇ。…噂では君はホモと聞いていたけど違ったのか」
「げ、やっぱり…」
「覇月、てめぇまでそう言うか!!! いいか、その噂はコイツが勝手に流しているデマだ。俺はちゃんと知っているんだぞ。…まったく、情報屋を甘く見るな」
 無論、覇月はそんな噂など聞いた事も無い。だが何故骸王が、自分がノーマルかを強調するか、その理由は垣間見れた気がした。
 そんな骸王を無視して雫夜は話を続ける。
「チビ太のホモ疑惑の真相は別の機会にしよう。兎に角、行く場所については了解した。…まずはトキオの所に転移する。次は姉さんの所…」
「あの、転移って?」
 なにかしら喚いている骸王を尻目に、覇月が雫夜に訊ねる。
「瞬間移動の事だ。知らないのかい? 君だってバサラじゃないか」
「俺がバサラ?」
 バサラ…その存在は認められてはいないが、確実に存在する異能者。
「そうだよ。それも極めて稀な銃を元力とした才能の持ち主だってね。通常はそんな人間を銃使い…ガンスリンガーと呼ぶんだろうけど、君の場合はちょっと違うね」
 覇月は自分が銃の扱いに長けているのは知っていた。だが、それはあくまで常識的な範囲で訓練すれば誰にでも出来る事だと思っていた。
「たしか、『銃神』…アルティメット・ガンナー。…もしくは『閃光の射手』と姉さんは呼んでいたっけ。まぁそんな事はどうでもいいや。詳しく知りたければ姉さんかトキオに聞くがいい」
「閃光…か…」
「ああ、だけど自称陰陽師のおねえさんに尋ねるのだけは止めた方が良い。あの貧血確実の長話は苦痛そのものだ。アレは神主より校長先生に向いているね」
 自分が異能者である…。突然、そう言われても実感が沸かない。
 だが、あの炎の中で覚えた不可思議な感覚…そして
ー閃光…神罰の光り…
「悩むのは後にしてくれ。雑念が多いと転移が失敗して『いしのなかにいる』状態になるかもしれない。ここまでレベルを上げたのにロストはイヤだ」
「だったらお前はここに残れ! 俺は覇月と愛車で行く」
「フフン、随分彼に構うね。やっぱり君はホモなんじゃないか! だったら素直にそう言えばいい。ホモにも人権はある。そしてボクは軽蔑する!」
「違うと言っているだろうが! ところで覇月…忘れ物は無ぇか?」
「忘れ物…か」

 覇月は再び炎に包まれるストリートを見る。
 大切なモノは全てあそこで灰になってしまった事だろう。この記憶は忘れたいと思っても忘れられない。だったらここに置いて行けば良い。

 葉月という名前と共に…

「…無いようだな。それじゃあ行ってくれ…」
「ボクに命令するな、チビ太! 人にものを頼む時は敬語を使え!!」
「バカヤロウ、折角うまく締めれたと思ったのに、テメェというヤツは…」

ー喧騒。


 ーそうだな。いっその事、覇王の覇をとって覇月っていうのはどうだ?

 本当は名前なんてどうでも良かった。どんな名前でも皆から見れば自分は葉月だろう。
 だが、そう呼んでくれる者はもう誰も居ない。だったら残してくれた名を名乗ろう。
 多分、骸王に葉月と名乗らなかったのはそういう事だったのだろう…。


 ーでも、月は影なんだよな…


 骸王はこっそり雫夜のわき腹を小突く。
「言っておくが、お前との漫才につきあうのはこれっきりだからな」
「うるさいな、チビ太。ボクだって相方を選ぶ権利はある…。ノリツッコミが出来ない君の相手はさすがに苦労したぞ」
「…って、今回はお前がツッコミじゃなかったのか?」
「フフン、そうだったっけ?」
 覇月の後ろで2人は彼に聞こえないよう、小声でそう話していた。
「それにしても…コイツは…」
 骸王は覇月と同じように炎に包まれたストリートに目をやる。
「ああ、決まっているだろう。ノリスケさんの仕業だよ。じゃなきゃ、必ず姉さんが止めていたよ。でも、止められなかった…」
「やりきれねぇな…」


「8月に出会ったから葉月か。じゃが今は月を覇す、それ故の覇月。成る程、興味深いのう…」
 桜の花が咲き乱れるその場所で、雛人形のような少女は口元を扇子で隠しつつ愉しそうに目を細める。
「え。一体、何を…?」
「ヌシの話が退屈での。失礼を承知でヌシの記憶を読ませてもらった。これもトモダチの悪巫山戯わるふざけと思うて許してくれれば幸いじゃ」
 アヤカシノヒメと呼ばれる…魔術都市ST☆Rでは最も得体の知れないクロマクであり、自称覇月の友人。彼をここに招いたのも彼女だ。
「ヒマだから来いと言われて、何か話せって言われて、挙句に記憶を読まれるのはあんまりだな」
 覇月は彼女に素直に不平を洩らした。
 どうせ言わなくても、彼女はマヤカシ特有の異能力で自分の考えている事を読んでしまうだろう。それならば言ってしまった方がストレスを溜めなくて良い、そんな考えからだ。
「名とはしゅ。ヌシは葉月の名を捨て覇月という呪に縛られる事を選んだ。その呪は亡き仲間によって形成されたモノなら相当強い力を持つじゃろう…。ヌシの背負う宿命に真ふさわしい…」
 覇月の台詞に悪びれた様子もなくヒメは語る。彼女の言葉はいつも掴み所がなく苦労する。出会った頃はその事でとまどいもしたが、今ではすっかり慣れていた。
「それならアンタの名前はどうなんだ?」
 そう、一介の賞金稼ぎが最強の力を持つクロマクに平然と問いかける。
 ST☆Rの住人がこの光景を見たら腰を抜かす光景であろう。
 だが、そんな覇月に対し、彼女はまるで赤子をあやす母親のような表情で答える。
「わらわに名など無い。『人形使い』と呼ばれるクロマクは常に舞台裏にひかえ、その存在を観客に知られてはならぬ故に。名は存在を表す呪、ならば存在を消す為に名を消すのが条理」
「それじゃあ、アンタの名は…」
 名前が存在を表す呪ならば、彼女には名前が無い事になる。ならばこの街に潜む最も謎の多いと云われる最強のクロマクも…。
「…その通りじゃ。このアヤカシノヒメという名とて人が勝手にわらわをこう呼び、わらわもそれが気に入って周りに呼ばせているだけに過ぎぬ。あの闇黒子…『全てを知る老賢者オールドワイズマン』と同様にな。ただ…」
ー彼奴の場合は自殺行為じゃがな…。そう、オールド・ワイズマンシステム…。己の存在意義…それに近い名を呼ばせる彼奴は…
 ヒメが不意に顔をしかめる。その事を覇月に知らせるにはまだ早過ぎるし、それは恐らく自分の役割ではないだろう…。
「…まぁ、わらわにはどうでも良い事じゃ」
 覇月は彼女があの闇黒子の件で話す度、おなじ疑問に駆られる。
 何故、彼等はそこまでして人形劇…人の意図を糸のように手繰り寄せ完成させる策謀を好むのだろうか?
 ヒメなら答えを知っているだろう。だが、訊ねた所で自分には理解できない…何故かそう思えた。
ーそれにしてもアヤカシノヒメやワイズマンと言う名前ときたら、まるでツチノコとかネッシーだな…。
 その言葉は例え読まれてたとしても口には出さない。
 賢明であろう。幾ら友人とはいえ、他人の名前をどうこう言うのは失礼だろうし、何より後が怖い。
「…所で覇月。ヌシが葉月と呼ばれる前の名には興味あるか?」
「え、知っているの?」
「否、残念ながらわらわがヌシの中で読めた記憶はあれが最も古いもの。じゃが他にも方法は幾らでもある。特にトモダチの頼みだったら無碍にはできまいて…。どうする?」

 『葉月』以前の自分の名…
 終(つい)えた記憶に残された名…

「…止めておくよ。どうせ知ってもそう呼んでくれる人もいそうも無いし…。それに俺は覇月という名前が気に入っている。レッドという渾名はカンベンだけどさ」
「確かに。わらわもその名前のヌシを好いておる。でなければトモダチになった意味もないしのう。しかし…」
 ヒメの表情が今度はまるで悪戯っ子のように変わる。その外見に相応しい…だが、決して彼女に似合わぬ表情で…。
「…あの闇黒子も手の込んだ事をする。どんなに己が策謀を巡らそうとも時の流れ常に人の手に余るもの…。不確定因子の存在を軽視しすぎておる」
「え?」
「わらわとあの闇黒子が観せる人形劇には決定的な差がある。それは、わらわが時の流れに従い過程を変えても結果は変えぬのに対し、奴は様々な策を労し、己の望む時の流れを作り出す所に有る。…じゃが、流れを無理に変えようとすると必ずほころびが生じる。それが不確定因子じゃ」
「……」
「それは人や物として見える存在ならいざ知らず、ささいな出来事…或いは誰かの何気ない一言の時もある。…兎に角、こればかりはわらわは勿論、サザンアイズやワイズマンとて手におえるものでは無い。人が神にはなれぬと云う事を証明する、なによりのあかしじゃな」
「えーと…」
「理解できぬならそれでも良い。今は心のどこかに留めておくだけで…。じゃが、いつかその事を理解しなくてはならないが来るであろう。ゆめゆめ忘れるでないぞ」
「うーん…」
「それよりも覇月、ヌシの夢…皆の成功を見届ける夢。その夢が現実となって襲いかかる時、ヌシはどうする?」
「そんな訳無い。あいつらは…」
「…そうじゃな。確かに、かつてのヌシの仲間とは今生の別れを告げておる。月を…影を覇さんとするその名を残して…」
 ヒメは最後に、それこそが最大の不確定因子かと言い、話を締めくくった。
 覇月もその件で彼女に追求するのを止める。
 ヒメの言葉が気にならない訳じゃない。だが、これ以上問いただしても、更に抽象的な事を言われはぐらかされてしまう事を知っていた。
 そう、いつものように…。
 その後、覇月は値段の気になるお茶請けを、これまた値段が知れない…ヘタすりゃ一生縁の無いようなお茶と共に頂くと、適当に言葉を交わしてその場を去った。
 骸王と仕事の打ち合わせの約束をしているからだ。

 夕暮れ時。
 いきつけのBAR。いつもの指定席。
 そこで覇月はグラスを傍らに、悪友の到着を待つ。

 どうせ骸王は時間どおりには来ないだろう。
 自分は少し苛立ちながら骸王と、彼が持ってくるウラがありそうな…というより絶対にウラのある仕事を待つ事になる。
 そして帰ろうかと思った時、彼は後ろから親指立てながら自分をこう呼ぶだろう。

「ぃよう、覇月!」

 それを境に喧騒に撒き込まれて、やがて終息する。それが覇月と名乗る自分の日常だから…

 覇月…自分を呼ぶ声に、かつてよばれた葉月という言葉が常に響く…

 終憶に響く名…

ーXyz